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滋賀県大津市 ヨガセラピー/プライベートのヨガレッスン/出張でのレッスンを行っています。


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カテゴリ:マンダラ著

  • On your mat
    [ 2012-03-05 18:32 ]
  • Don't forget your OM.
    [ 2011-05-08 20:41 ]
  • はじめにロゴスありき
    [ 2011-05-04 10:07 ]
  • 今更ながら、白湯を飲め
    [ 2011-02-13 16:06 ]
  • 肉体を超えたところ
    [ 2011-02-10 10:49 ]
  • Yoga in Hollywood
    [ 2011-02-08 23:57 ]
  • Be water
    [ 2011-02-08 23:48 ]
  • 意識する
    [ 2010-12-25 12:43 ]
  • ちっさいおっさん神社
    [ 2010-12-14 23:50 ]
  • 大津国宝への旅
    [ 2010-11-24 22:27 ]

On your mat

ヨガマットはあなた自身を映す鏡みたいなもの。

マットの上で肉体を使い、感じる自分自身。

ある時は、柔らかく、固く、流れるように、留まるように・・・。

ある時は、喜びがあり、心地悪くもあり、無であり、有であり・・・。

やってきて、留まり、消えていく、無常の感覚を

心身を使って感じながら映し出していくえれども、あなたの姿は見えない鏡。

さて、今日のあなたのマットにはどんなあなたが映っているのでしょうか?

by mandala-2 | 2012-03-05 18:32 | マンダラ著 | Comments(0)

Don't forget your OM.

アメリカで出会ったヨガメイツの中のひとり、BKさん。
彼女は、5歳の女の子の子供がいる。
彼女は、すぐに沸騰してカッとなるのが悩みなのだという。
子供というのはそら自我もあるため、母親の思い通りにはならんもんで、
あれこれとやらかしてしまうもんである。

子供とたまにヨガもしてみたりはするものの
ヨガ的思考はなかなかずっとはKEEPでけへんもんで、
ついついイラッとして怒鳴ってしまって後でへこんでみたり・・・。
日々そんな連続である。

ある日、子供がまた何かやらかして怒鳴った時のこと。
「もうあんたはっ、○+@△%&!!!」
と言うや否や、すかさず子供が
「マミー!!」と叫ぶ。
「マミー、O~~m~~・・・・」
指はもちろん、親指と人差し指を結んで円を作ったチンムードラである。

子供にしてやられたり。
Omな心は忘れてはいけないと教えられたのだそうな。


by mandala-2 | 2011-05-08 20:41 | マンダラ著 | Comments(0)

はじめにロゴスありき

師はまずマントラを覚えさせた。
ただ言葉のリズムを、音を吸収させるため。
暗誦できるまで、毎日の日課となる。
暗誦できてもなお、マントラは日々繰り返し詠唱させらる。
はじめはそこに意味は求められない。
解釈は後からついてくる、意味は後で学べばよい、というスタンスだ。
なぜなら、それは一生かけてついてくる学びの言葉だからである。

インドの子供達はヴェーダを学ぶ。
師は口伝で、神への賛歌を伝承する。
子供達はリズムをとるため、身体を前後に左右に振りながら
日々歌って覚えるのである。
それは何世紀にも渡って行われてきた方法だ。

アサナであれ、まず実践がある。
それは日々繰り返されていくものであり
身をもって体験し、体で覚えていくのである。

「はじめにロゴス(言葉、音)ありき」、とヨハネの福音書にある。
インドでは「はじめにオーム(宇宙音、振動)ありき」となるのだろう。

私達は音の無い(と思っている)暗闇の水の中から
光のあるプラーナ(気)の世界に生まれ、まずは泣いて音を発する生き物だ。

宇宙も同じく、音が無い暗闇の世界だと思われているが
そこにオームがあった。それは振動する宇宙の音であり、
宇宙そのものであり、現在・過去・未来の時間を越えた永遠なる全ての根源である。
超越した、融合した無形のものが有形となるところである。

それが古代から伝わる叡智である。

しかしながら現代の私達は頭であれこれとまず最初に意味をつけたがり、さも頭に辞書そのものをダウンロードしインストールするかのように情報を欲する。
しかし、人間はコンピューターに近づけてもそのものにはなれない。
私達は機械ではないのだ。ひとりひとり個性のある人間なのだ。
何かを始める前の段階から「それをやった時にどうなるのか?」と結果を知りたがり、先を心配したがる。
評論し、討論し、批判されたものを見聞きし、安心してから取り掛かりたいのだ。
なるべく損をしたくない、得だけをしたいと無意識に刷り込まれてしまった残念な時代だ。
(「得したかったら徳を積め」、とはよう言うたもんだ)
もうすでにそこで言葉と音が氾濫し、情報過多で逆にカオスである。

何事もやってみないことには、どうだかわからんのだ。
人の意見はあなたのものではない。
あなた自身で体験してみなければ、あなたのものにはならない。

全てを取り払い、それを受け入れること。
それには一旦頭を空っぽにすることだ。
そこではじめて自分の言葉が生まれるだろう。

そしてあなたにとっての『ロゴス(の本当の意味)』が一体何なのかを一生かけて学ぶのだ。



by mandala-2 | 2011-05-04 10:07 | マンダラ著 | Comments(0)

今更ながら、白湯を飲め

昔に書いてたブログに白湯のことUPしてたのをReup

3つのグナ

インドの民間療法(アーユルヴェーダ)では、食べ物を3つの種類(グナ)に分けています。これをヨガに当てはめて考えるとこうなります。

■Sattwa サットヴァ(純粋):ヨギに最適な食事、心身を浄化とバランスを促す。
 果物や野菜、豆、未精製の穀物など

サットヴァ 純粋  静けさ 浄らかさ 平安 幸福
サットヴァの減少により、体と心のアーマ(毒素)が増え、知性を狂わせ、心身の病気を起こさせる。

■Rajas ラジャス(情熱):たくさん取ると心落ちつかずコントロールが難しくなる。体のみの栄養 となるもの
 刺激物やチョコ・コーヒーなど

ラジャス  情熱 すべての苦痛にみちた経験の原因

■Tamas タマス(惰性):心・体の両方にとって何ももたらさず、無気力・暗い感情を引き起こす
 肉類・アルコール・タバコ・鮮度の落ちたものなど

タマス  惰性 鈍感で不活発


サットワ的な食べ物は、やわらげる、静める、効果を与える食べ物。
ラジャス的な食べ物は、極度に塩辛いもの、酸っぱいもの、辛いもので、心を いらだたせてしまう。
タマス的な食べ物は、前日に調理されたもの、水気を失ったもの、変質したもの等はとるべきではない。

ということだそうだが、きっとインドは暑い国だし、冷蔵庫ない家もたくさんあるから(あったとしても、停電多しで意味をなさない)前の日に調理されたもんなんて食ったらえらいことになるよな・・・。野菜の水分なんてもともとあったようなもんでないから、干物みたくなっていくのでしょう。そんなん食えんで・・。


食物とともに人の心身に悪いことが入ってくる、三つの可能性があります。一つは今のべた、食物自体が含む悪です。次は、食物をとる場所、その雰囲気が悪かったり、そこが不潔であったりすると、心身に悪影響を与えます。第三はそれを調理した人、持ってきた人が悪いと、同じ影響が与えられます。

心がタマスで曇ると、肌のつやと張りが失われ、背中に贅肉がついてきます。判断力や決断力も鈍ります。

朝は解毒の時間です、その時間にお白湯を飲むことでアーマ(毒素)を取り去り、爽やかな一日を送りましょう。

Budhi mind cafe 2006/01/24 19:17
by mandala-2 | 2011-02-13 16:06 | マンダラ著 | Comments(0)

肉体を超えたところ

キリストは、「人はパンのみに生きるにあらず」と説いた。
ブッダは、不浄観にて、私達の本質は肉体でないと説いた。
それは、車輪のように輪廻し続け回るものだと説いた。
インド哲学においては、アートマン(自己の根本原理)とブラフマン(宇宙の根本原理)の一体化(梵我一如)によって輪廻の輪から外れることを目指そうと説いた。

これら全ては、全く違うようで実によく似ている。

そら、パンだけで生きてるんじゃないに決まってる。
ワインもあれば、スープもあって・・・。
などというしょうもない絡みをしたいのではない。
パン(身体の比喩)、ワイン(血の比喩)=肉体のみで動いているんではない、
Super naturalな部分、魂の存在を説いているのだ。

原始仏教的な瞑想法において、自身の肉体をじっと見て、見続け、
全ての感覚を感じれば、内臓や毛の一本一本の隅々まで観察することができる。
それら全てを感じた自分自身という客観的な自分を発見し、
自分は肉体のみならず、心と感覚を持った存在であるのだと悟る。
五感をはっきりと認識すれば、それを超えた第六の感覚があると知る。
それは、目に見えず、耳で聞こえず、鼻で匂えず、舌で味わえず、皮膚で感じられないものだ。
それらを超えた、これもまたSuper naturalな部分を説明しているのだ。
人というのは、自分で身をもってして始めて理解するものだと仏陀はよく知っていたので、なんでも自分で体験させるように促し、瞑想させたのだろう。

人は頭だけの判断に慣れきっていると、肉体を超えたものの存在を見落としがちだ。
見落とすというよりも、理解したくないと思う方が多い。特に自分の頭の中の常識以外は。
(唯物論的にもってすれば、心は脳の活動の一部であることでオチになってしまって話が続かないので、ここでは避ける。)

肉体は死滅しても輪廻は続いていく。ぐるぐると巡る。私達は不滅の実体なのだ、と。
誕生し、生きて、死ぬからこそ、また誕生する機会が巡り、
この肉体から違う肉体に、もしくは、また他の何かへと移行していく。
生まれ、とどまり、消えていく。創造・維持・破壊。シヴァ神の宇宙のダンスのように。
私たちは残念ながら留まれない。また留まりたければ、次に訪れる破壊と新たな誕生を経てからでなければやってこない。否応なく、どこぞかへの執着を手放させられるようになっている。
しかし、嘆かなくてもよい。それは遅かれ早かれ必ずやってくる。だから、待たなくてもいいし、振り返らなくてもいい。そんなことをしても無駄である。ただ、今を体験し、今を生きるのみ。
そうすれば、それはおのずとやってくるのである。

最大の恐怖は死への恐怖だといわれているけれど、死を受け入れれば、覚悟が出来、この生を精一杯生き抜くことができる。
肉体が朽ち果てていく事実を知れば、肉体の表面に執着することがない。
そして、肉体が「あなた」という尊い魂を入れている器であり神殿のようなものなのだと知れば、肉体を大切に扱うことができる。
今生きていることが有限で、その背景には無限が広がっている。
それこそが、アートマンとブラフマンである。

肉体を知れば、肉体を超えたところを垣間見ることが可能である。
限界は自分で作った幻想であるにすぎない。
だからこそ、自分で幻想を砕き、限られた枠から飛び超えていくこともまた可能である。


肉体を超えたところに辿り着きたいなら、まず肉体を使ってみることである。

『無知では道は開けない』のだから。





by mandala-2 | 2011-02-10 10:49 | マンダラ著 | Comments(0)

Yoga in Hollywood


by mandala-2 | 2011-02-08 23:57 | マンダラ著 | Comments(0)

Be water


本をついに手に入れた!
経験値が5UPした。(?)

"Empty your mind.
Be formless, shapeless like water.
Now, You put water into a cup, it becomes the cup.
You put in a bottle, it becomes the bottle.
You put water into a teapot, it becomes the teapot.
Water can flow or it can crash. Be water my friend."

「心を空にし、姿形をなくす、水のようにね。例えば、水をカップに入れれば水はカップになるし、瓶に入れれば瓶になる、ティーポットに入れればティーポットにもなる、水は流れもするし、砕きもする。水のようになれ、友よ。」
by mandala-2 | 2011-02-08 23:48 | マンダラ著 | Comments(0)

意識する

意識することは、集中すること。
集中は、自我を超越することへの布石となる。

「魂のあるレベルの気づきが一貫性をもって同調すると、私たちも時空を超えて知覚し
影響を及ぼすことが可能になります。」
                    『宇宙につながる第八のチャクラ』 ジュード・カリヴァン


これには続きがあって、「ほとんどの人は自我のフィルターでその可能性を排除してしまいます。しかし、受け入れようとするなら、自我の締め付けは緩み、超越した知覚が可能となります。人はみんなこの力を持っています。」と書かれている。

出来ないと思うからストップがかかるのは、ヨガでもよくあることで、
「これ以上開かない!もう、無理。」と思い込めば、もう伸びない。
しかし、自分の思い込みという枠や締め付けている感情を解放し、それに降伏し、自由な流れを作れば、
もっと身体は開くし、柔軟性が増すという、さらなる地点の発見を経験した人も多いことだろう。

自我を超えるとは、自分で作った限界や範囲を伸ばして拡げていくことでもある。
自分で作ってしまった枠組みから外に出てみることで、違う世界が見えてくる。

その世界に入りやすくなるツールが、集中(意識すること)である。
しかし、頭の中は実に雑念だらけで、集中するにもコツがいる。
雑草の茂った道なき道の中で、草をなぎ、自分の行く道を切り開いていかなければならない。

ガンツフェルドメソッドというものがあり、それには
「私たちの超能力は日常的なあらゆる刺激や周囲の環境から発せられるシグナルを浴びていない状態、
自分自身の内外が静かな状態にあるときに高まる」 とある。

よく、ひとりで静かにする時間も必要だとはいうけれども、こういうことが背景にあるのかもしれない。
ひとり静かな場所にいて、身を浸していると、頭がスッキリと明晰になり、ふと何かがひらめいたり、イメージが浮かんだりすることがある。それを神がかり的な風にとらえることも出来るが、そういうもん、である。
普段ガチャガチャした生活をしていたら、そんな事にも気づけないでいることの方が多いというだけである。

静かな場所は確保できたが、呼吸が正しくなければ、きっとあまりピンとこないハズである。
呼吸をうまく使いこなすこと、これが集中への鍵となる。
まずは、呼吸を意識することである。そこが集中のスタート地点なのだ。

ガンツフェルドメソッドのいうところの静かな状態が効果的なのであれば、
ヨガも静かに行えば、集中力を高めることのみならず、自我を超越する手助けになるということであろう。

吸う吐く(または、止めるも含め)の呼吸のリズムに合わせ、まだ開いていない扉を開いていく。
リズムというのは、「人の鼓動より遅ければ不安を感じ、速ければ興奮する」ものなのだという。
だから、一番手軽で効果のある音楽というのは、呼吸なのかもしれない。
呼吸に集中すれば、雑念と戦わずして雑念を自然にしずませることができる。
呼吸(+瞑想)を使って自分自身を律していくことで、さらなる深みを知る。

まず意識する、それが次なるレベルへと移行するためのヴィザのようなものなのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考文献 ジュード・カリヴァン著 『宇宙につながる第八のチャクラ』 




by mandala-2 | 2010-12-25 12:43 | マンダラ著 | Comments(0)

ちっさいおっさん神社

ちっさいおっさんの妖精がおるらしい神社(都市伝説)に行ってみた。
しっかりした門が、平安神宮を彷彿とさせる。
しかし、電線邪魔!

日本に来たおフランス人が「どうしてこんなに美しい日本に電柱、電線があるのか。大変、不愉快だ。あなたたちはどう思うのか?」とクレームが来た際に、一緒にいた日本人が「申し訳ないけど、私達には電線が見えていない。」と言ったとか言わないとか。邪魔と思えば邪魔だし、邪魔と思わなければ邪魔でないっていう話。

もとい、そんな電線のことなんて実はどうでもいい。

そこへ行けば~♪(ゴダイゴ?)、相性の合う人はちっさいおっさんをお持ち帰りすることがあるらしい。
そして、そのちっこいおっさんはいたずら好きということである。


なんか不思議というか、関西には無い空気感の神社。
言葉で表現しにくい・・・。

参拝すると、中で巫女さんが舞っていた。シャリン、シャリンと鈴を鳴らしながら、くるん、くるんと。
「祓い給い、清め給え・・・」と唱える言葉が書かれてあり、その通りに黙読。
まんまんちゃんあんしてみれば、「なんか新しいエネルギー」が降ってくる感じ?
「新しい」というキーワードが入ってきた感じ。(あくまでも個人的主観です。)

この神社境内にあるといわれるピンクのクローバーを探そうと歩いてみたが、よう考えたら冬ですね。あまり草もそない生えてないし、クローバー自体ないやん。
春に再挑戦といったところか。

ちっさいおっさんおらんかったな~・・・。
なんて、帰り道ぶつぶつ言うて、電車で渋谷に着いたら切符が無い。
私は普段、絶対に切符は無くさない人だ。
完璧に後ろのポケットに切符入れてたのに。
これはきっと、ちっさいおっさんのいたずらかもしれない!

駅員のリアルおっさんは追加金も取らずに通してくれはった。
小さいおっさんと大きいおっさんのコラボレーションか?

不思議は続く・・・。
by mandala-2 | 2010-12-14 23:50 | マンダラ著 | Comments(0)

大津国宝への旅

大津市歴史博物館での「大津国宝への旅」展にギリギリで行って来た。

サブタイトルの「えっ、国宝がこんなに!」を書いた人だと思うが、展示品の横にちょいちょい面白コメントを書いてくれていて、それがかなり和ませてくれた企画展だった。
大津というか、滋賀には素晴らしい国宝がいっぱいある。
ただ、よく言われる宣伝ベタのため、うまく伝えられていないでいる。
だから今回の企画展は、全国的にもよいPRになったんじゃなかろうか。

A室展示
比叡山を開いた最澄と三井寺の始祖である円珍にまつわる様々なものと仏像、古文書、石山寺絵巻など。十一面観音や四天王などの大きな仏像の展示も。
水晶の舎利容器や数珠、木のビーズの数珠なんかも綺麗だった。
円珍さんの頭が長いなと思ったら説明に「頂骨が長く、面長で・・・」と書かれていて、まるでタマゴかカリメロか、っていう感じ。名前も落語家みたいやし。
お地蔵さんを見てはっと思う。日本仏教におけるお地蔵さんって、キリスト教における天使じゃないのか?と。似てない?なんとなく・・・。
他の仏像たちも、ちゃんと磨かれていてすごく綺麗だった。
私は十一面観音が一番好きだ。

B室展示
浄土教の世界と聖衆来迎寺の六道絵、高麗時代の楊柳観音図や高麗仏画など。(←返さなくていいのか?)
前期・後期と期間を分けての展示替えがあり、前期は両界曼荼羅がなんと5セットあったとのこと。

一番の見所は、六道絵。人だかりで牛歩でないと見れないほど。
この六道絵がかなりグロイ。なんてったって地獄を表したものだから。
無常図やらいろいろあるが、グロイのに保存状態がすこぶるよく、絵が鮮やかで美しい。
地獄図を見て、必要悪について考える。
怖いものがないと人間ちゃんとせんのんかな、って思うとちょっと哀しい。

一番ビジュアル的にドーンと来るのが、「人道不浄相図」。
これは、美人(小野小町?)が死に、肉体が朽ち果てて、白骨化するまでを描いている。
死体は膨れ土色になり、血が出て、膿が出て、しまいには野犬やら鳥やらに食われる。
骨だけが最後残って、転がってる、っていうオチ。
藤原信也のインドの写真でも死体が野犬に食われてるやつがあったっけ。

しかし、これはあれだな、「サティパッタナ」(仏典)なやつ。
ここには人間って汚いもんだということがコンコンと書いてある。
どこがどうで、何が汚いか。
だから肉体なんかに執着するな、っていう。
綺麗だと思っていたものは、いずれ形をとどめなくなるものなのだ。
全ては無常、移り変わるのだ、ということ。
そう思うと怖いとか云々がなくなる。
ただ、そういうもんだと受け入れるしかなくなる。
肉体への、生への、さまざまな執着をLet goさせるために・・・。

ということで、とても見ごたえのある国宝たちでした!!

開館20周年記念企画展「大津国宝への旅」http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/1002.html

by mandala-2 | 2010-11-24 22:27 | マンダラ著 | Comments(0)