滋賀県大津市 ヨガセラピー/プライベートのヨガレッスン/出張でのレッスンを行っています。
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SHANTI MANTRAで学ぶサンスクリット③
ヨガでは定番のサハナーババトゥです。平和と調和、ユニティ(ワンネス)を唱えているマントラで、カタウパニシャッドの冒頭に書かれているとあります。
Om Sahana vavatu 私たちが守られますように
Sahanau Bhunaktu 私たちが栄養を頂くことが出来ますように
Saha Veryam Karavavahai 私たちが元気に働くことが出来ますように
Tejasvi navadhetamastu 私たちの学びが輝かしいものでありますように
Maa vid vishavahai 私たちが互いに争うことがありませんように
Om Shanti Shanti Shantih オーム 平安なれ 平安なれ 平安なれ
Guru=お師匠はんと、Shisya=お弟子さんの歌です。
インドでは、お弟子さんは師匠の家に住み込んで生活を一緒にしていく中でいろんな事を学んでいくというスタンスが伝統的です。(グルクラという言葉で呼ばれているシステム)。日本では、漫才師や落語家のお弟子さんやお寺さんは今もそうですが。
ですので、グルクラのようなかなり近しい(+厳しい)弟子と師匠の関係において、このマントラを唱えられることはかなり深味があるのではないかと思います。
かなり深味にハマって説明していますので、長いです。では、どうぞ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
①一番目のパラグラフ
Saha -na-vavatu (サハナーババトゥ ← サハ ナウ アバトゥ)
私たちが守られますように
・Saha :together 共に、互いに
・nau:us
・vavatu=avatu :protected 守られる、恩恵を与えて頂く
vavatuもよくマントラに出てくる単語。恩恵をもたらしてくれる何かに感謝と畏敬の念を持ち、祈っているのであろう。何によって守られるのか・・・。それは、Brahma(宇宙、神)によって。その部分の主語として、Brahmaという文字として出てはこないが、三人称になっているため、Brahmaによってということが推測可能になっているとのこと。今やほぼ無宗教の日本では神という概念がかなり胡散臭げに感じるでしょうが、インドでのそれは絶対なるものなのでしょう。その部分については、いくら無宗教でもリスペクトを持ってあげることが大切でしょう。(それが異文化コミュニケーションですな。)
②二番目のパラグラフ
Saha-nau-bhunaktu (サハ ナウ ブナットゥ)
私たちが栄養を頂くことが出来ますように
・bunaktu:enjoy,eat 健やかであること
eatといってもただ単に食べ物を食べることだけではなく、魂や心の栄養として、プラサード(神への捧げもの)として、頂くことを意味するのだと思う。
弟子は知識や知恵を頂く。師は教えることでまた学んでいる。互いが健やかであり、共に楽しみ、共に食し、知識と知恵を循環させていく。
③三番目のパラグラフ
Saha-viryam-karavavahai (サハ ヴィーリャン カラバーバヘイ)
私たちが元気に働くことが出来ますように
・viryam:vital energy, force,courage 活力、力、勇気、強さ
・karavavahai:do, deed する 行為 行い
ただ単に元気に働くというよりは、私たちに本当の意味での強さを与えてもらい、知恵を使って、それを理解していくことだ。心が弱ければ、相手を理解できえない、物事を昇華(消化)できないだろう。体が弱まれば、何よりも先に養生が必要である。それにはまず、心身共に健やかなることが大切である。
学ぶ、教える、共に協力し合いながら、何かを成し遂げるという同じ志を持ち、より強くなれるのである。
④四番目のパラグラフ
Tejasvi na (v)adhetam astu (テージャスヴィ ナアバティタマストゥ)
私たちの学びが輝かしいものでありますように
・Tejasvi :輝かしい
・adhitam :(アディッターン)学ぶ
・astu=let it be :~である
ヴィパッサナー瞑想でテープから流れてくる「adhitam,adhitam・・・(努めなさい、一生懸命に努めなさい)」という言葉を思い出す。仏陀も弟子達に瞑想法を伝授する際、または教えを授けていく際に言っていたのだろう。adhitam、と。
前に進むには、精進するには、自ら努め、adhitamする他に道はない。だからこその、adhitam=学び、なのである。ヨガにはコツはあれど、残念ながら近道はない。ヨガは人生そのものであるから。枝の先に輝くヨガの果実は、自らもぎ取らなければならない、ということ。インスタントな悟りなんてない。
例えば、カリスマ・パティシエのところへ行って、「私もパティシエになりたいので、あなたのケーキのレシピを教えてください。」と言ったところで、すぐには教えてはくれないはずである。そのパティシエもまた、何年もかかり、様々な苦難も乗り越えてそこに至ったのだ。「アホか、失礼な!なんで、ぽっと出の輩にホイホイとレシピを教えなあかんのだ?」と言われるのがオチだろう。(正論ですわな、しかし、世の中にはこういうことがいっぱい。) 本当に得たいなら、自らでその道を歩くことである。宝石が輝くにはいくつもの傷をつけて研磨するように、栄光というのは茨の道をもいとわないViryam(強さ)を持った者だけが頂けるギフトなのである。
⑤5番目のパラグラフ
Maa vid vishavahai (マー ヴィッ ヴィシャーヴァヘイ)
私たちが互いに争うことがありませんように
・ma :~なかれ
・vid :to know, to see 知る、見る (VippasanaのViでしょうねえ、きっと。)
・vishavahai :misunderstand,hatred 誤解、憎む、嫌う
光に満ち溢れ、幸せでありますように、
たとえ挫けそうになっても、何が起こっても、誘惑に負けそうになっても。
残念ながら、偏見や疑いなどの無知よって人の心は閉ざされてしまう。互いに違うことを受け入れることが出来ずにどちらが正しいのかと善悪を決めたくて争いが起こる。だから戦争がなくならないのであろう。敵対や報復は恨みしか生みださないから、終わりがない。ふたつはSplit(分裂)してしまい、ひとつにはなることがない。
人は他人の優しさによって初めて自分の内なる優しさを知るのである。ふたつはUnite(統合、調和)され、ひとつになれるのだ。
許す心を大きく持ち、相手を受け入れていくこと。師匠もまた人間であり、完璧ではない。弟子もまた完璧ではないからこそ学んでいる。波立った水面には、月がその形を写さないのと同じで、真実は漂流していては見えてはこない。(グルクラシステムでは、師匠と生活を長期間共に行い、弟子はどっぷりと師匠のいい面も嫌な面も受け入れ、深くその人となりを知って初めて成長していくものである。表面だけでは何も得ることはなかろう。)
月を写す闇夜の水面のように、人というのはあなたの鏡である。敵だと思い込む相手の中に、あなた自身が写っているだろう。敵は本能寺にはあらず、自分自身の内にあり。
このマントラに出てくる師弟関係ではなく、例えどんな関係であろうと、互いに相手の立場を思いやり、疑問を持った時であっても自分がどう振舞うかで関係性は変わってくるのかもしれない。親子関係、夫婦関係、友達関係でも同じである。ケンカしながらでもハラを割って付き合える人というのは本当に貴重な相手であり、感謝すべき存在なのだ。
だからこそのSHANTI 三回、
だからこそのSHANTI MANTRA なのである。
決して他者からやらされてるんではなく、あなた自身があなたのコントローラーであり、エンターテイナーであり、主である。あなた自身がその手で幸せを、楽しみを、学びを、調和を、心の平安を、SHANTIを作り出すのである。
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Om Sahana vavatu 私たちが守られますように
Sahanau Bhunaktu 私たちが栄養を頂くことが出来ますように
Saha Veryam Karavavahai 私たちが元気に働くことが出来ますように
Tejasvi navadhetamastu 私たちの学びが輝かしいものでありますように
Maa vid vishavahai 私たちが互いに争うことがありませんように
Om Shanti Shanti Shantih オーム 平安なれ 平安なれ 平安なれ
Guru=お師匠はんと、Shisya=お弟子さんの歌です。
インドでは、お弟子さんは師匠の家に住み込んで生活を一緒にしていく中でいろんな事を学んでいくというスタンスが伝統的です。(グルクラという言葉で呼ばれているシステム)。日本では、漫才師や落語家のお弟子さんやお寺さんは今もそうですが。
ですので、グルクラのようなかなり近しい(+厳しい)弟子と師匠の関係において、このマントラを唱えられることはかなり深味があるのではないかと思います。
かなり深味にハマって説明していますので、長いです。では、どうぞ。
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①一番目のパラグラフ
Saha -na-vavatu (サハナーババトゥ ← サハ ナウ アバトゥ)
私たちが守られますように
・Saha :together 共に、互いに
・nau:us
・vavatu=avatu :protected 守られる、恩恵を与えて頂く
vavatuもよくマントラに出てくる単語。恩恵をもたらしてくれる何かに感謝と畏敬の念を持ち、祈っているのであろう。何によって守られるのか・・・。それは、Brahma(宇宙、神)によって。その部分の主語として、Brahmaという文字として出てはこないが、三人称になっているため、Brahmaによってということが推測可能になっているとのこと。今やほぼ無宗教の日本では神という概念がかなり胡散臭げに感じるでしょうが、インドでのそれは絶対なるものなのでしょう。その部分については、いくら無宗教でもリスペクトを持ってあげることが大切でしょう。(それが異文化コミュニケーションですな。)
②二番目のパラグラフ
Saha-nau-bhunaktu (サハ ナウ ブナットゥ)
私たちが栄養を頂くことが出来ますように
・bunaktu:enjoy,eat 健やかであること
eatといってもただ単に食べ物を食べることだけではなく、魂や心の栄養として、プラサード(神への捧げもの)として、頂くことを意味するのだと思う。
弟子は知識や知恵を頂く。師は教えることでまた学んでいる。互いが健やかであり、共に楽しみ、共に食し、知識と知恵を循環させていく。
③三番目のパラグラフ
Saha-viryam-karavavahai (サハ ヴィーリャン カラバーバヘイ)
私たちが元気に働くことが出来ますように
・viryam:vital energy, force,courage 活力、力、勇気、強さ
・karavavahai:do, deed する 行為 行い
ただ単に元気に働くというよりは、私たちに本当の意味での強さを与えてもらい、知恵を使って、それを理解していくことだ。心が弱ければ、相手を理解できえない、物事を昇華(消化)できないだろう。体が弱まれば、何よりも先に養生が必要である。それにはまず、心身共に健やかなることが大切である。
学ぶ、教える、共に協力し合いながら、何かを成し遂げるという同じ志を持ち、より強くなれるのである。
④四番目のパラグラフ
Tejasvi na (v)adhetam astu (テージャスヴィ ナアバティタマストゥ)
私たちの学びが輝かしいものでありますように
・Tejasvi :輝かしい
・adhitam :(アディッターン)学ぶ
・astu=let it be :~である
ヴィパッサナー瞑想でテープから流れてくる「adhitam,adhitam・・・(努めなさい、一生懸命に努めなさい)」という言葉を思い出す。仏陀も弟子達に瞑想法を伝授する際、または教えを授けていく際に言っていたのだろう。adhitam、と。
前に進むには、精進するには、自ら努め、adhitamする他に道はない。だからこその、adhitam=学び、なのである。ヨガにはコツはあれど、残念ながら近道はない。ヨガは人生そのものであるから。枝の先に輝くヨガの果実は、自らもぎ取らなければならない、ということ。インスタントな悟りなんてない。
例えば、カリスマ・パティシエのところへ行って、「私もパティシエになりたいので、あなたのケーキのレシピを教えてください。」と言ったところで、すぐには教えてはくれないはずである。そのパティシエもまた、何年もかかり、様々な苦難も乗り越えてそこに至ったのだ。「アホか、失礼な!なんで、ぽっと出の輩にホイホイとレシピを教えなあかんのだ?」と言われるのがオチだろう。(正論ですわな、しかし、世の中にはこういうことがいっぱい。) 本当に得たいなら、自らでその道を歩くことである。宝石が輝くにはいくつもの傷をつけて研磨するように、栄光というのは茨の道をもいとわないViryam(強さ)を持った者だけが頂けるギフトなのである。
⑤5番目のパラグラフ
Maa vid vishavahai (マー ヴィッ ヴィシャーヴァヘイ)
私たちが互いに争うことがありませんように
・ma :~なかれ
・vid :to know, to see 知る、見る (VippasanaのViでしょうねえ、きっと。)
・vishavahai :misunderstand,hatred 誤解、憎む、嫌う
光に満ち溢れ、幸せでありますように、
たとえ挫けそうになっても、何が起こっても、誘惑に負けそうになっても。
残念ながら、偏見や疑いなどの無知よって人の心は閉ざされてしまう。互いに違うことを受け入れることが出来ずにどちらが正しいのかと善悪を決めたくて争いが起こる。だから戦争がなくならないのであろう。敵対や報復は恨みしか生みださないから、終わりがない。ふたつはSplit(分裂)してしまい、ひとつにはなることがない。
人は他人の優しさによって初めて自分の内なる優しさを知るのである。ふたつはUnite(統合、調和)され、ひとつになれるのだ。
許す心を大きく持ち、相手を受け入れていくこと。師匠もまた人間であり、完璧ではない。弟子もまた完璧ではないからこそ学んでいる。波立った水面には、月がその形を写さないのと同じで、真実は漂流していては見えてはこない。(グルクラシステムでは、師匠と生活を長期間共に行い、弟子はどっぷりと師匠のいい面も嫌な面も受け入れ、深くその人となりを知って初めて成長していくものである。表面だけでは何も得ることはなかろう。)
月を写す闇夜の水面のように、人というのはあなたの鏡である。敵だと思い込む相手の中に、あなた自身が写っているだろう。敵は本能寺にはあらず、自分自身の内にあり。
このマントラに出てくる師弟関係ではなく、例えどんな関係であろうと、互いに相手の立場を思いやり、疑問を持った時であっても自分がどう振舞うかで関係性は変わってくるのかもしれない。親子関係、夫婦関係、友達関係でも同じである。ケンカしながらでもハラを割って付き合える人というのは本当に貴重な相手であり、感謝すべき存在なのだ。
だからこそのSHANTI 三回、
だからこそのSHANTI MANTRA なのである。
決して他者からやらされてるんではなく、あなた自身があなたのコントローラーであり、エンターテイナーであり、主である。あなた自身がその手で幸せを、楽しみを、学びを、調和を、心の平安を、SHANTIを作り出すのである。
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