「私は第二の矢を受けない」
とは、仏陀の言葉だそう。
矢とは、「受=感覚」をあらわす。
受は、楽、苦、非苦非楽の三種類がある。
私たちは無意識にこの心地よい感覚、嫌な感覚、どちらでもない感覚に左右されている。
悟りを開いたとされる仏陀であったとしても、開いていない人であったとしても
第一の矢は受けている。
しかし、人は第二の矢を受けてしまいがちだ。
美しい花を見て、「ああ美しい」と思う感覚が第一段階。
そして、その花を摘んで家に持ち帰ってしまいたくなる。
苦しい思いが起これば、人は慌てふためく。
しかし、仏陀は第二の矢は受けない。
美しいと思うけれども、それはそれ。
一瞬の心の動きの後、平常心に戻る。
もはや執着することはない。
あたかも流れる水が流れ去るががごとく・・・。
参考文献 「阿修羅よ・・・」ひろちさや著